gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

ナジブの影響力 ( 背景は親の功績遺産、 Fedraコミュニティ、 パハン州行政官の思い出 )

ナジブに有罪判決が出たものの 直ぐに控訴したので 引き続き政治活動ができる状況にある。


そしてナジブを支持する人も多く、ナジブの影響力は損なわれてはいない という。


なんだか ロッキード事件で有罪判決を受けたがその後も政界に影響力を振るった田中角栄のマレーシア版になっていく のだろうか。



どうして ナジブには そんな影響力があるのか、について 解説した記事があった。



Najib was earmarked for a career in politics very early in his life.


He is the eldest son of Malaysia's much-respected second premier, Tun Abdul Razak Hussein, and has inherited the title of nobleman at the Pahang royal court, making him one of the most powerful individuals in the country's third-largest state after the Pahang monarch.


His father was instrumental in setting up the multiracial BN coalition in 1973, as well as the Federal Land Development Authority (Felda) - a scheme to help the rural poor become smallholders.


The Felda community, comprising mostly rural Malays, numbers around 1.2 million now, and many of the Felda settlements were secure vote banks for both Umno and Najib until the 2018 election.


Najib was only 23 years old when he was elected MP for Pekan in 1976, taking over his father's seat when the senior died.


In 1982, at the age of 29, Najib became Menteri Besar of Pahang, his home state. He remains the youngest politician ever to have assumed the post of state chief in Malaysia.


The only blight in Najib's upward trajectory before his premiership was during the 1999 polls, when there was an electoral backlash against Umno following then Prime Minister Mahathir Mohamad's infamous sacking of then Deputy Prime Minister Anwar Ibrahim.


After having won the Pekan seat with comfortable five-figure majorities since 1976, Najib scraped through with a razor-thin 241-vote majority in 1999.


However, in the four elections since, his majorities have not dipped below 20,000 votes.



要約すると


1) 父親のラザク元首相の功績(地盤)を引き継いだ二世政治家だからだ。


2) ラザク元首相は1973年に多人種間連合であるBNの創立という多大な功績があり マレーシア国民から大きな尊敬を集めた英国からの独立後第二代目の首相。 ( 戦後の名宰相、吉田茂のような感じかなぁ。。)


3) 地盤である出身州/選挙区州のパハン州はマレーシア諸州に中での有力な州 (面積/経済など) であり、そのロイヤルコート(/朝廷/宮廷)で与えられた「nobleman :貴族」称号をナジブ(長男)はラザク元首相から世襲しており、王様に次ぐポジションをキープしている。


(注) 朝廷(ちょうてい): 君主制下で官僚組織をともなった政府および政権。 マレーシアは連邦制国家。 パハン州自体が有力州として州独自の財政/行政機能も有する。 キャメロン高原にもヘリコプターで王様が別荘にくるたびにお供の行政官が大勢、車で来ていたことを思い出す。 たまたまタナラタの車の洗車場で その中の1人の行政官と出会って 話をしたことがある。教育省の役人だ と言っていた。王様のヘリコプター移動時には 俺たちは一団(20人〜30人)となって車で同行するんだ と言いながら、別れ際、彼のFaceBook を教えてくれた。彼とはもう出会うことはないが、時々 彼のFBを見ている。いつも元気そうな顔の写真がアップデート(大抵 役所の行事での写真) してある。でも 言葉はマレー語で書いてあるので 読んでも私にはわからない。




4) ラザクの死去に伴い23 歳で初出馬当選(Pekan)したナジブの政界歴は長い。
その後 In 1982, at the age of 29, Najib became Menteri Besar of Pahang, 29歳になった時に パハン州選出の国会議員として当選。



5) ラザクの功績に Fedra ( 連邦土地開発公社) の設立がある。これにより田舎の貧乏な小作農に小規模土地を与えた。 そしてこのFedraコミュニティが 120万票を擁する選挙支持基盤となってUmonoとナジブを支えてきた。



ということだ。




要約を更に要約すると、要するに、ナジブ自身の功績というよりも父親ラザクの功績(親からの遺産)を うまく使いこなして Fedraコミュニティからの支持を維持し、政界に影響を与えてきたし、まだ その影響力を失ってはいない ということのようだ。




裸一貫でのし上がってきた 田中角栄 とは ずいぶんと違う。


家系の良さ という点では 安倍首相に似てる。


日本では 明治維新の山県有朋が  腐敗/汚職 ( 山城屋事件)で有名だが、マレーシアの1MDB事件は マレーシアの政治史に残る腐敗事件だ。






以上 (8/2記)