カンパー ( Kampar ) に行ってみた。#2 ( 錫鉱山博物館 : ラルートの話 )
イポーから車で1時間少々 ほどのところに 太平 という名前の都市がある。
太平天国の乱(1851) の太平 と同じ漢字だが、太平天国の乱が失敗して清から逃げて来た洪秀全が設立した街、 ということではない。
ブリタニカ国際大百科事典には こう書いてある。
マレーシア,マレー半島西部,ペラ州西部の町。タイピン (太平) の名は,スズの採鉱権をめぐるスルタン一族と中国人秘密結社との錯綜した争いが 1873年に終結したことを記念してつけられた。第2次世界大戦前は,ラルート峡谷を控えるスズの最大の集散地で,日本占領下の 1942年まで州都であった。太平の旧称はラルートだった。
錫鉱山博物館で 錫鉱山に関する歴史をしっかりと勉強中、ラルートのことを説明している展示物があった。
仔象だ。
仔象の銅像の側には、人物の説明書きがぶら下がっていた。
こんなことが書いてある。
「 ペットとして飼われていた仔象がジャングルに迷い込み 数日経っても行方不明だったので飼い主は 捜索隊を出した。そして ジャングルの中で 泥だらけになっている仔象を捜索隊は発見した。 その泥には多量の錫鉱石が含まれていた。」
仔象はジャングルで錫鉱石を大量に含む水場で泥浴びを楽しんで来たのだった。
飼い主というのは 殿様から命令を受けて クアラカンサからこの地区(タイピン)に派遣されて来た代官だったが、代官様だけあって ペットは像なのだ。
そして 説明書きには 仔象の名前が ラルートだった、と書いてあるのだった。
以上 (9/23記)