gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

マレー半島 歴史ロマンチック街道 1

新聞を読んでいたら こんな記事があった。



Melaka wants to promote Penarikan Portage as tourist product, where history comes alive

https://www.nst.com.my/news/nation/2017/10/288202/melaka-wants-promote-penarikan-portage-tourist-product-where-history



これまでマラッカには3回行ったが、その都度 マラッカの歴史に魅了される、そして また来ようと思う。


新聞記事のタイトルを 見て 「マラッカに歴史名所が新たに追加されるのか、それなら今度はそこだ!」、と早速 旅行計画に入ることにした。



でも Penarikan Portage なんて これまで聞いたことがない。


なんだろう、まずは Penarikan Portage の調査だ。



するとわかった、 これは、マレー半島 歴史ロマンチック街道 なのだ。





街道と言っても、水路 だ。河なのだ。

マレー半島を、水路を使って 東西横断する街道だ。




利用するのは一本の河じゃない。そんな便利な河はないのだ。 マレー半島を東西横断して流れる一本の河など ないのだ。


そこで 二本の河を使う水路街道になる。


二本の河の最接近地点で、 船を引き揚げて 陸路を 引きずって移動し、再び水路に船を戻すのだ。



それが 写真に示されている地点だ。



Penarikan Portage の意味は Penarikan がマレー語で 「引きずる 」、Portageが英語で 「両水路間の陸路 」 だ。


マレー語だけ なら Jalan Penarikan だ。



なぜ この水路街道が マレー半島の歴史ロマンチック街道なのか。



それは 次の解説を読めば分かる。


Jalan Penarikan The forgotten ancient riverway of the Malay Peninsula | Astro Awani


http://english.astroawani.com/malaysia-news/jalan-penarikan-forgotten-ancient-riverway-malay-peninsula-124525



その昔、交易範囲の拡大を求めたアラブ商人が マレー半島西側から東側に行くには マラッカ海峡を南下し マレー半島の先端を経由するルートがあった。


でもこのルートで行こうとすると 海賊の絶好の基地であった現シンガポール島付近を通ることになる。


そんな危険を犯すよりも安全な内陸ルートの方が良い と考えたアラブ商人もいたのだ。




交易目的だけではない、他にも この内陸水路街道は 歴史を持っている。



タイの軍隊が 侵攻ルートとして使った。その碑文も発見されたそうだ。


武人 ハントウァ も このルートを使った。


ポルトガルから追われたスルタンも このルートで逃げた。




でも 今では すっかり 人々の記憶から薄れ、ジャングルの熟練者である オランアスリでさへ このルートの全体像は知らない、単に 魚を捕るだけの河になってしまった。




面白い、興味深い、痺れる、あー 歴史のロマンチックを感じてしまうのだ。




以上 (10/8記)