gary1212のブログ : マレーシア、イポーからの異文化体験のお便り日記 を更新中。 日記なので毎日書くように努力してます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。
マレーシアと日本の文化の違い発見、地方への旅行で見つけた発見、などなど。
ブログの目的は、自分自身用の日記ですが、公開日記にすることで 情報を調べたり、確認する必要があるので、脳機能の活性化になっています。

マレーシア近代史 1 ( マラヤ危機 怪人物 陳平 )



マレー危機 (Malayan Emergency) での英国の対応 と ベトナム戦争での米国の対応はよく比較される。


前者は英国の勝利、後者は米国の敗北に終わったのだが、両者とも 戦闘は主にジャングル地帯であり、このため 両軍が採用した作戦にも類似したものがあった。


問題は、英国軍は 35000人の兵力規模だったが、米軍は 50万人の兵力投入で、かつ 戦闘地域もベトナム戦の方が マレー危機における戦闘地域よりも狭かった というのに、米軍は負け、英軍は勝利した という点だ。



詳細な分析は、 次の 「Malayan Emergency」Wikipedia の中の Comparisons with Vietnam の項に詳しく記されている ので 割愛するが、第二次世界大戦の後も、引き続き共産主義勢力との戦いで、マレー半島も大変な時期が続いていたのだ。



https://en.wikipedia.org/wiki/Malayan_Emergency?wprov=sfti1



有名なジムトンプソン謎の失踪事件についても キャメロンハイランドのジャングル地帯に潜む共産ゲリラに拉致されたのではないか、という説もあるのだ。



共産ゲリラ側の主導者に 陳平 という人物がいる。


ナンバー1 極悪 テロリスト として お尋ね者懸賞金 の貼り紙が出された怪人物で、もともと彼は ペラ州を拠点としていた。



「陳平 (マレーシア)」@Wikipedia ( 下部 参照 )



イポー にもいたのだろう と思って 調べていたら、この 陳平 が映っている BBC インタビュー 記録を見つけた。



当時の英軍のジャングルでの対ゲリラ戦の様子のほか、その後、タイに亡命した陳平がインタビューに答えて 当時のことを語っている。


ちょっと長いが、映像を眺めているだけで、文字で読むよりも よほど迫力がある当時の状況がよくわかったように感じる。



共産主義勢力は 英軍と手を組み 日本軍と戦い、日本敗戦後は英軍を直接の攻撃対象とし、一旦は和平交渉の席についたが、交渉決裂で再びジャングルに戻る陳平の姿を映像は映し出している。


そして BBCインタビューに答えて、「英国に対する我々の戦闘があったおかげでマレーシアは英国からの独立を勝ち得たのだ」、と陳平は語る。



でも マレーシア側は 陳平の帰国を拒否したのだ。



(BBC ビデオ)


http://db.ipohworld.org/view.php?type=id&id=6924#search_form_wrapper







(参考) 「陳平 (マレーシア)」出所 Wikipedia


陳 平(チン・ペン、Chén Píng, 1924年10月21日 - 2013年9月16日)はマラヤ共産党書記長、本名王 文華 (Ong Boon Hua) である。中国において、策謀家として著名な人物「陳平」の名を借りた。「マラヤの陳平」と呼ばれるアジア現代史の怪人の一人。

経済的には平均的なマラヤの客家に生まれた陳平は、1940年にマラヤ共産党入党後、抗日武装闘争に参加[1]。1947年にマラヤ共産党書記長に就任し、1948年6月より抗英武装闘争を指揮。1955年の自治政府との和平会談が決裂となったことで、マレー・タイ国境に潜伏。これ以降、長く表舞台より姿を消すこととなる。1968年の中国共産党、ベトナム共産党の武装闘争重視路線転向により、マラヤ共産党も活動を活発化させるが、1980年代にはマレーシア政府とマラヤ共産党両者の関係は、話し合いの段階へ移る。1989年12月の和平協定により、「最後のコミュニスト」陳平の闘争は終焉を迎えた。

晩年は亡命先のタイにおいて、故郷への帰還を願っていたが、マレーシア国内では陳平による武力闘争を記憶している者や傷つけられた者も多く、反対勢力の関係から実現しなかった。2009年、タイ政府が旧マラヤ共産党員と同様に陳平の入国も認めるべきと斡旋をした際にも、マレーシア政府と世論は国民感情から拒否すると撥ねつけた[2]。政治のリアリズムとダイナミズムを血肉としているリー・クアンユーは、陳平を高く評価する発言をしている。

2013年9月16日、癌のためバンコクの病院で死去[3]。88歳没。

この風雲児の生涯を綴った自伝 "my side of history"(2003年)がある。





以上