タイプーサム ( インド音楽 雑感 )
今年のタイプーサムには 行かなかった。
理由は 2つ。
1) 昨年 見に行ったから。
2) 今年は 当日夜 皆既月食で ヒンズー寺院が夜半クローズのため。
新聞を読んでいたら KLのバトーケイブでは 皆既月食にもかかわらずヒンズー寺院はクローズしなかった ということで これまでの風習を破るものだと 他地区のヒンズー寺院は批判的だった と書いてあった。
結局、マレーシアでは 曇り空で 皆既月食は見えなかったのだから、バトーケイブのように 寺院を開けておいても 天照大神のような岩屋御隠れ騒動は、ビンズーの神々は起こさなかった ということになる。
古いタイプーサムの写真があった。
1957年当時のタイプーサムだ。
マレーシアにやってきたインド人達は 辛い日々の労働に耐えながら、唯一の楽しみと言えば タイプーサムのお祭りだったのだろうか。
彼らが アメリカ大陸に連れて来られたアフリカ黒人と同じような状況だった とは言わないが、インドでのカースト制の下、先行きに望みの乏しい祖国を離れて マレーでゴム農園での労働に励む という姿は、アフリカ大陸で綿花栽培に従事したアフリカ黒人の姿と重なってしまうのだ。
そして アメリカでは 黒人達が 毎週の休みに 協会で 歌う賛美歌が ゴスペルと呼ばれ、やがて それが ジャズに発展していった。
他方、マレーシアでは インド系の音楽は どういう形で 発展したのだろう。
タイプーサムでのインド寺院での音楽を聞いても、ガンガンと打楽器を打ち鳴らすだけのように聞こえしまい、ゴスペル/ジャズのような発展性は期待できなさそうだ。
以上