毎日ベース日記はやめた。約3ヶ月ぶりにマレーシアに。 ( 番外編: 空港で慌てた話、ミネアポリス、ワシントン、コペンハーゲン空港でのおまけの思い出)
この日記ブログを書き始めたのは 2017年6月27日だった。
2018年5月末まで 毎日 書いてきた。
5月末から北米とポーランドに出かけたことから 毎日ベースは一旦休止し、番外編としてマレーシア以外のことを時々 書いた。
それ以来 番外編&マレーシア編 ともに 毎日ベースの日記はやめて、数日おきのベースにした。
本日 羽田空港より マレーシアに戻る。
: 北米とポーランド旅行の 番外編 :
米国での着地地点は 目まぐるしかった。
ロスアンゼルス、デトロイト、ワシントンダレス、ワシントンDC、ミネアポリス、ピッツバーグ。
ポーランドに関しては、コペンハーゲン、ワルシャワ、クラクフ。
なぜ こんなに多くの着地地点になったかと言うと、トランジット地点を含めているからだ。
トランジットといっても、数時間 の待ち合わせで、しかも ノンビリとラウンジで待っている訳にはいかない場所ばかりだった。
何が大変だったかと言うと とにかく空港建物が広すぎる上に イミグレーションチェックや セキュリティチェックの関係で思わぬ時間を取られ、広大な建物内を走り回って、ようやくラウンジにたどり着き、 ちょっとだけ休憩し、すぐに搭乗ゲートに移動なのだ。
さすがにミネアポリスでは 疲れ果てて ラウンジへの移動は ゴルフカートのようなカートに乗せてもらった。
広大な通路を歩いていたら カートサービスが通りかかったので、ラウンジまで乗せてくれ と頼んだら オッケーという返事だ。
普通は 老人や 障害者の乗客向けの カートサービスと思うのだが、健康そうな中年のおばさん乗客がカートの乗っているのを見かけたので、私も聞いてみたのだ。
カートに乗りこんだところ、搭乗券を見せろ というので、搭乗ゲートまでのカートサービスであり、目的地点がラウンジの場合には 乗車拒否されるのか と一瞬躊躇した。
搭乗券をみて、空港職員は 「 ラウンジに行き 休憩してから 搭乗ゲートに移動するんですね。」と聞いた。
私は「 yes 」と答えた。
それだけのことだった。 問題なく カートに乗せてくれた。
ワシントンDCのイミグレーションカウンターは長い 長い行列だった。
以前 出張で来たときも 長い行列に並んだなぁ と ふと思い出した。 もう十年くらい前だったかなぁ。
ワルシャワショパン空港やコペンハーゲン 空港 での風景とは すっかり違って、ワシントンダレス空港には実に多様な人種が長い列に並んでいる。
ワルシャワやコペンハーゲンの空港では 黒人も東洋人もモスリム系も ほとんど見かけない。
見かけるのは 白人系が圧倒的多数だが、白人の中でも より北方系ということで 髪の毛も色も ブロンド系が多く目についた。
それが ワシントン空港では 世界の人種/民族のオンパレード風景だ。
コペンハーゲン空港では 大変な思いをした。
ワルシャワ発の航空機の出発時間が1時間ほど遅れてしまった上に、コペンハーゲン空港で EU圏内入出国チェックカウンターでも長い行列で、イライラしながら 、待った。チェックカウンター通過後は 猛ダッシュで ワシントン行きの搭乗口に走って、なんとか 間に合った。
以前 アメリカからヨーロッパに行った時、出発便が遅れて、ミュンヘンでの乗り継ぎに間に合わず、慌てたことがある。
乗り継ぎカウンターへ行ったらすでに飛行機は飛び去った後で、文句を言ったら、追加料金で 次の便に乗せてくれた。航空会社は、ルフトハンザだった。 出発便が遅れたのもルフトハンザだったのに 何故 追加料金を取るんだと思ったが 少額だったので、グッと堪えて 払った。
この時は ミュンヘンからドイツ国内への乗り換えだったが、今回のコペンハーゲン空港の場合は 米国ワシントン空港への乗り継ぎで 国際線だったので、相当に焦った。 そう簡単に 次の便への搭乗切り替えなど、できないからだ。
とにかく コペンハーゲン空港も広かった。その空港の端から端まで ダッシュしたので フラフラだ。
あいにく カートサービスは 見つからなかった。
海外旅行に行くと 目的地での快適な思い出以外にも、目的地に到着するまでの間での、ハプニングというか 刺激的な というか おまけの思い出がつくことが多い。
以上