gary1212のブログ : マレーシア、イポーからの異文化体験のお便り日記 を更新中。 日記なのですが 毎日じゃなくて、数日に一回程度です。

滞在期間がマレーシア以外の時は、「番外編」のタイトルにしています。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。
マレーシアと日本の文化の違い発見、地方への旅行で見つけた発見、などなど。
ブログの目的は、自分自身用の日記ですが、公開日記にすることで 情報を調べたり、確認する必要があるので、脳機能の活性化になっています。

ジェームスバーチの暗殺 ( パンコール条約、 最初の駐在官 )



ジェームスバーチのことを以前の ブログ(下記) に書いた。



彼は パンコール条約により 最初の駐在官となって イポーにやってきたのだが 暗殺されてしまった人物だ。



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https://gary1212.muragon.com/entry/216.html


( イポー物語 5 ) ジェームズ バーチ、 パンコール条約

2017/10/28 06:30


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最近 出版された マレーシアの歴史の本(写真) を読んでいたら この暗殺事件のことが書いてあった。



58ページには こんな風に書いてある。





バーチに命じられた通訳のArshad が 「徴税の御触書 」を中国人の金取扱業者の店先の壁に掲示しても すぐに取り外されてしまう。


バーチによる 徴税権 に反対していたペラの スルタン/酋長 側の仕業だ。



「御触書」を掲示しても 外されてしまい、またもや 通訳のArshad が 掲示し直す、ということを繰り返していたら、とうとう この通訳は 追いかけまわされた上に 殺されてしまった。


そこで バーチ自ら「御触書」を掲示しようと Pasir Selak に赴いたのだが、その地の酋長である(注)である Maharaja Lela は バーチからの面談要求には応じようとしない。


(注) ペラのスルタンは Abdullah だが 8人の酋長がいて それぞれの地区を管理していた。Lela は Pasir Selak の酋長。





ここで「 御触書」に至る背景を少し述べておこう。



1875年7月21日に Abdullah の呼びかけで Durian Sebatang で 酋長達が集合して 徴税権を強引に持って行こうとするバーチ対策が協議された。


「黒魔術をかけるのがよろしい 」とか 色々とディスカッションされたのだが、有力酋長であるLelaは 明確に バーチ殺害を主張した。



なお Sultan Muda Ismail は この会議には 欠席した とも書いてあるので スルタンは Abdullah と二人いたのだろうか。ペラと言っても 広いので 複数のスルタンが当時存在していたのだろう。



Lela からの 「俺には バーチ殺害の準備はできているんだ 」と言う声に押されて、他酋長も そして スルタン Abdullah も最後は バーチ殺害に同意した。



ところが その後で Abdullah が心変わりしてしまったのだ。


バーチから 「ワシの命令に背くなら スルタンの地位を剥奪するぞ!」 という脅しに屈した Abdullah は 「 ペラにおけるバーチの徴税に同意する」という宣言書(御触書)に 同意を示すシール(花紋)を貼ったのだ。




そこで バーチと フランク ステムハムは そのコピーを ペラ中の全ての酋長に配布して 掲示を求めた。



以上が 「御触書」の背景だが、Lelaの統治するPasir Selakは言うことを聞かない。


そこで バーチ自らが出向き、バーチが Lelaに直接会った上で 「ワシの言う事を聞け! 」と一発かませば 大人しく言う事を聞くだろう と思ったと言うわけだ。




ところが Lelaは バーチからの面談要求には応じようとしない。


それどころか Lela は 他地区の部族酋長や同調者を集めて 彼らに 槍などの武器を持って河辺に集合するように命じたのだ。



1875年11月2日 川で 水浴びをしていたバーチめがけて 槍を投げた。


転倒したバーチをめがけて 更なる槍が投げられ バーチは絶命した。


遺体は 後日 さほど離れていない距離で 川の中で発見された。




バーチ暗殺を知った 英国植民地政府は 香港やインドから兵隊や警官を呼び寄せ 暗殺に関係した人物を捕らえる(注)とともに 村を襲撃して家屋を焼き払うという報復行為に出た。


(注) Lela は絞首刑になった。Abdullah は追放。Raja Muda Ismail はジョホールに逃げた。




暗殺に参加した酋長側も 必死に抵抗したものの 英国側の近代装備した武器と 熟練した戦闘技術の前に 破れ去り、このバーチ暗殺の後は、英国によるペラ統治体制が確立したのである。



この本では Lelaほか を単に バーチと戦ったと言うだけでなく 英国植民地主義に挑んだ戦士達だ、と賞賛している。





以上 (11/13 記)