gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

(イポー物語 1 ) イポーの全盛期 : 原風景

イポーが錫鉱山開発で盛況のころの風景だ。



Kinta地区での採掘現場の映像の後、錫インゴットがバタワースの精錬所からニューヨークに船積みされる時の映像が続いている。



そして 1962年にイポーが行政自治区の宣言をした時のカーニバル風景となる。



この頃から 錫で大儲けした錫長者がたくさん出て お妾さん通り も発展したのだ。








These short clips courtesy of Filem Negara Malaysia show, in order of sequence: dulang washers; open cast mining and the use of a monitor; collecting the tin from the palong; transporting bags of tin to the smelter along the Kuala Kangsar Road; the finished ingots ready for shipment to New York from the Butterworth smelter; A series of clips showing the carnival procession through the streets of Ipoh to celebrate the declaration of Ipoh as a Municipality in 1962.



tin.wmv



この後、イポーは急速に衰退していく。


錫価格の下落と1970年代後半の鉱山閉鎖により成長は停滞したことが原因である。


クアラルンプールのような大都市圏やシンガポールへ多くの若い人達は出て行ってしまい、一時、イポーは「死んだ」都市として知られるようになってしまった。


今では 死んだ都市からは復活し、定年後の居住に適した場所になっている。





以上