gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

「宇沢弘文の数学」2 (お金に飽きないという価値観 : 限界効用の非飽和性 、 需要と供給、 マーケットプライス )

::::::::::


消費には限界効用逓減の法則が働き、追加的な増加がもたらす効用の増加量は どんどん低くなって いずれゼロににじり寄る。


他方 貨幣保有については その追加的な増加がもたらす効用の増加は それがある正の値に達すると低下しなくなる (限界効用の非飽和性)がある。



つまり 消費には飽きるが カネには飽きが来ない という仮定だ。




消費に関して 限界効用逓減の法則が作用することは 実感として納得できる。



でも 貨幣保有に関して 非飽和性がある という点は どうも納得できない。



そりゃぁ 中には カネには飽きが来ない という人もいるだろうが、多数派じゃない と思う。



普通の人は 「ゴーンさん あんなに報酬もらって どうするんだろう、私なら 充分な貯金になれば それ以上 欲しいとは思わない けど なぁ」と考えるのじゃないだろうか。



::::::::::



以上の点について もう少し考えてみた。




あと少し 追加で稼ごう とすると


( 1)「これまで以上の労力を要する / これまでにも増して より一層の努力を要する」という場合があるだろう。


逆のケースとして、


( 2) 「これまで以下の労力で稼ぐことができる 」という場合があるだろう。仕組みを立ち上げるまでは苦労がかかるが一旦 仕組みが確立すればあとは少しずつの改良を加えていくだけでずーっと稼ぐことができる という例を考えるとわかりやすい。




貨幣保有に関して 非飽和性 がある という状態になるのは (2)のケースだ と思う。


そして (2)にも 時間という要素が大きく関係して 残り時間が time out に近づくと 非飽和性もなくなってくると考える。



時間要素というのは、わかりやすい例を言うなら 例えば 人間の寿命 を考えると良いだろう。


最近 とみに思うことだが 何かを「買おう/しよう」とするときの価格判断基準が 若い頃と同じではなくなったなぁ と気づく。




完全市場原理の下では 時価(マーケットプライス/市場価格)は ひとつだけとされる。




昔 習った経済学を思い出した。


「ものの値段は ワルラスの均衡法則で決まる 」というのがあった。



つまり 需要と供給の均衡点で 価格は決定されるという法則だ。



この法則に 時間要素を加えた考察はあるのか と調べたら 次のような記述を見つけた。



::::::::::::::


時間と不確実性

ワルラス均衡の概念は,取り引きの対象となるさまざまな財や用役を,物的な性質で分類する だけではなく,さらに取り引きの時点および環境状態にしたがって分類すると,時間と不確実性 のある経済に拡張することが出来る.このことを最も明確に示しているのがドゥブルウ(1959) である。


::::::::::::::



いや、ちょっと違うようだ、私の考えている時間要素とは。 でも 待てよ、同じようにも思える。


リタイアしてMM2H保有となり、つまり のんびりと過ごしたい 人の多くは、これからの 健康余命中は、金儲けはもはや 重要関心事から除外、いう価値観を持つ人が多数派じゃないだろうか。



これは 「貨幣保有に関しての 非飽和性」 からの脱却状態 を表している と言える。



別の表現をするなら、非飽和なのか、飽和なのか は、 人それぞれの価値観に依存し、価値観は 時間要素により 変化する。






こういう風に どんどんと思考を進めていけば 新古典派経済学を超越する革新的な経済学理論を樹立でき、やがては 私もノーベル経済学賞を貰えることに、、、、。


いやぁ、今日は 脳みそを使った。





以上 (12/31 記)