gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

シビル (かつてイポー住んでいた) のこと、 現在イポーの ユーラシアンのこと

Sybil and her husband, Dr Abdon Clement Kathigasu, operated a clinic in the small town of Papan, on the outskirts of Ipoh, Perak, where they covertly supplied medicine, and provided medical services and refuge to resistance fighters for years during World War 2 until their capture in 1943.



シビルのことは、web で検索すると 詳細が分かる。



Sybil died in London from injuries she sustained during the time of her captivity.


新聞にはロンドンで死去と書いてあるのでイギリス人のように思うかもしれないが、web検索で読んだところ、マレーシアのユーラシアンだった と書いてある。


先祖は、アイルランド及びフランス系。



当時イポー郊外のパパン (注)という街で 医療関係クリニックを夫と開業して、また 対日ゲリラ活動支援もしていた。広東語も流暢だった。

(注 ) 新聞記事では イポー郊外パパンと書かれている。日本軍が来るまではイポー市内の住所No. 141, Brewster Road (now Jalan Sultan Idris Shah)で開業していたが、日本軍がイポーにやってきたため、イポー郊外のパパン村に転居し、そこで対日ゲリラ活動支援を続けたものと思われる。 "She was trained as a nurse and midwife and spoke Cantonese fluently. She and her husband, Dr. Abdon Clement (A.C.) Kathigasu, operated a clinic at No. 141, Brewster Road (now Jalan Sultan Idris Shah) in Ipoh from 1926 until the Japanese invasion of Malaya. "



シビルのことに 関心のある人は、自分で web を検索してね、英語での検索しないと 詳細な情報は出てこないと思いますがね。



「Sybil Kathigasu」の記事を @Wikipedia で読む

https://en.wikipedia.org/wiki/Sybil_Kathigasu?wprov=sfti1




マレーシアのユーラシアンは マラッカのポルトガルセトルメントが有名だ。


以前、ポルトガルセトルメントで 欧米人のような彫りの深いお姉さんを見かけたことがある。でも肌の色は 白くはなかった。


イポーにもユーラシアンはいる。




友人夫妻もユーラシアンだ。 夫は ポルトガル系と華人系のミックスだが、華人系の血のほうが多いのでヨーロッパ人のような彫りの深さは薄れて来ている。でも 明らかに 東洋人のようなヒラぺったい顔とは違うし、マレー系の形跡を示す顔立ちは全くない。妻の方は ヨーロッパ系の顔立ちをたくさん残している。確か 英国系だと言っていた。



ロイヤルイポークラブのプレジデント(弁護士)も 肌の色も白いところから 明らかなユーラシアンだと思うのだけど、彼に聞いたら 「 私は100パーセント マレーシア人であります 」 と言っていた。 人権を擁護する職業の彼としては、人種の違いよりマレーシアという単一性を強調したかったのだろう。



以上