gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

マレーシアの新発見遺跡 ( クダ州のBukit Choras: 義浄が滞在したシュリヴィジャヤ王国)



Ancient ties


Placed in two niches together with an inscription in Pallava (the language of the Pallava Dynasty that ruled in South India between the 3rd and 8th century CE), Bukit Choras’s two Buddha statues have architectural features resembling those of other ancient artefacts from the Srivijaya kingdom that prospered between the 7th and 11th centuries CE, in an area from southern Thailand, through the Malay peninsula and into Java. The statues are now being studied and restored at CGAR on Penang island.




Srivijaya



中国仏教のセクション(世界史:インドへの求道)では法顕、玄奘、義浄の三人が有名で、大学受験世界史ではこれら三人の功績を示す書物の名前を暗記することになっている。



法顕→グプタ朝、陸路と海路、「仏国記」


玄奘→ヴァルダナ朝、陸路、「大東西域記」


義浄(635-715) → 義浄の「南海寄帰内法伝」にはシュリーヴィジャヤ王国に立ち寄った時のこととして「大乗仏教が盛大に修行されている」と書いてある。



(参考:  法顕や玄奘の業績に憧れ、37歳の時、単身海路広州よりインドへ渡る。この時既にヴァルダナ朝は崩壊していたが、ナーランダ僧院に留学して仏教を研究。さらに海路帰国途中に立ち寄ったジャワ島のシュリーヴィジャヤ王国で大乗仏教が盛んなのを見て、首都パレンバンに10年間にわたって滞在。この間にインド各地や東南アジアでの見聞をもとに『南海寄帰内法伝』・唐より仏典を求めてインドに向かった僧たちの伝記『大唐西域求法高僧伝』を執筆。帰国した時は則天武后の時代で、武后により玄奘と同じ三蔵の称号を与えられ、仏典翻訳にあたった。)




そのシュリヴィジャヤ(現インドネシア;パレンバンが都)からの遺跡に類似した出土品が出たというクダ州の新発見遺跡の記事だ。


地図で調べるとBukit Chorasは、ペナンとランカウイの間のところに位置している。


今ではイスラム教国家のインドネシアもマレーシアも以前は仏教国だったのだ。



以上(3/16記)