西安の日本語ガイドさん (一生懸命に歴史を説明してくれた、 あの山頂が西周の狼煙台! )
西安郊外にある華清池 に行った。
玄宗と楊貴妃のお風呂で有名な場所だ。
20年くらい以前にも訪れたことがあるが その時と比べると今回は異常な程に混み合っていた。
あまりの人の数にウンザリして 浴槽のある建物の中の見学はすっ飛ばして、庭の石碑を読んでいた。
確か 20年前には 石碑はなかった。
石碑に書いてある中国語文の意味が良く分からないので、ガイドに聞いた。
すると 「女を喜ばせるために狼煙台のなんとか かんとか 」 と説明してくれたのだが、直ぐに 「アー あの話か!」と分かった。
中国古典で登場する有名な故事だ。(注: 下記参照)
知らなかった、ここがその舞台だったとは!
山の頂上を見たら それらしいものが遠くに見えた。
(注)
褒似の烽火
紀元前 771年、西周の最後の王幽王は驪山(キザン)において犬戎(ケンジュウ)に殺され、ここに西周は終わる。 亡国の裏には常に絶世の美女があり、これを傾国の美女と云うが、 西周の滅亡にも褒似(ホウジ)(ジは正しくは女偏に以)と云う美女がいた。
彼女は、もともとは氏素性も知れぬ捨子であったと云う。 褒の国の貧しい行商人の夫婦に拾われ育てられ、やがて、絶世の美しさに育っていった。 たまたま、褒の国が周の王室から責めを受けることがあり、褒は罰を免れるために、彼女を周の幽王に献上する。 幽王はその美しさに魅せられて彼女を溺愛し、正妻の申后を廃して彼女を后とする。 更に、申后の生んだ子が太子となっていたのを廃して、彼女の生んだ子を太子に立てるまでに至る。
褒似の烽火 この褒似は、どんなことがあっても笑うことのない女であった。 幽王は彼女の笑顔を見たくて、いろいろと試みるが、決して笑顔を見せなかった。 ところが、ある日、何かの手違いで烽火が上げられてしまった。 烽火は緊急の警報であり、それが上がると、諸候は何をおいても直ちに王宮に集まることになっていた。 ところが、駆けつけてみると、それが間違いだと分かり、諸候は呆然とする。 その驚きの様子がおかしくて、褒似が思わず笑ってしまう。 幽王は喜んで、それから後、彼女の笑顔が見たくて、何事もないのに烽火を上げさせる。 それが度重なり、諸候は馬鹿々々しくなって、烽火が上がっても、もう王宮に集まらなくなってしまった。
そうこうしているうちに、怨みを抱いている申候は、同志を語らい、 蛮族の犬戎 (後の匈奴と云われる) を引き入れて、周王室に反旗を翻し、幽王は殺害される。 これが、史上最初に現れる烽火の話である。
以上 (6/9記)