gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

カンパー ( Kampar ) に行ってみた。#1 ( 日本軍の快進撃を止めた "Green Ridge" での戦闘 )



地元新聞に カンパー がでていた。



Ipoh Echo | Kampar: An Education Hub



https://www.ipohecho.com.my/v4/article/2017/09/16/kampar-an-education-hub



Google map で調べたら 片道 45キロ の距離だ。



行ってみることにした。



目的地は Green Ridge と 錫鉱山博物館 の2つ にした。



錫鉱山博物館は分かるとして なぜ Green Ridge を選んだか。


それは ちょうど 小説太平洋戦争 2 ( 山岡壮八 歴史文庫 : 講談社) を読み終わったところだからだ。


p105に 山下中将の日記でカンパーの戦いのことが書いてあるのだ。



Green Ridge は マレー半島侵攻作戦で 日本軍はイポーまで順調に進撃したものの、その先に進もうとした 日本軍が カンパーの山頂に陣取った英軍の激しい抵抗を受け、大きなダメージを受けた 戦闘場所だ。



日本では一般的には、マレー侵攻作戦は 日本軍の一方的な大勝利とされているが、 英文で " the Battle of Kampar" を検索したら「そのマレー作戦の戦闘で日本軍に最大のダメージを与えた場所である」と書いてあった。


( 日本軍に戦死者500名余の打撃を与えた後、退却。なお、英軍側の戦死者は150名余。 戦力は日本軍が圧倒的に優勢にもかかわらず 戦死者数は日本軍が英軍の3倍以上というのは、英軍の実質的な勝利と言える。もちろん山下中将の日記には そのようには書かれていないが、日本軍将兵の不甲斐なさを嘆く記述がある。)



「Battle of Kampar」の記事を @Wikipedia で読む

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Kampar?wprov=sfti1



英軍はインド兵とシーク教徒を中心にした戦力で、山下奉文将軍率いる日本軍相手に勇猛果敢な戦いをした ということで 現在 Green Ridge と呼ばれる山頂の一帯を モニュメントとして保存する運動がある。


一帯は私有地なので、自治体/州政府 で土地を買収して歴史遺産としての保存をして欲しい ということも含めてのモニュメント運動だ。


しかし なかなか 保存運動の成果は出ていないようだ。




GPSにおおよそのロケーションを入力し、近く までたどり着いたと思ったのだが、 なんらの看板も案内表示もない。


仕方ないので、近くの山の麓の高台にある住宅街で 場所を聞いてみた。


人は誰も住宅街の道路に出ていないので、グルグルと走っていたら ようやく インド系の年配者が 上半身裸で 庭にいるのを見つけた。


聞いたら 直ぐに おおよその方角を教えてくれたのだが、「 でも 付近には 何も案内板などない、以前から モニュメントを作るという話が出ているが、実際には 何も進んじゃいない 」 とも言った。


思うに この人はインド系の年配者だったから Green Ridge ( Battle of Kamar ) のことを知っていたのだ。


戦闘で一番犠牲者を出したのは インド系(インド兵&シーク教徒 ) だったのだ。


戦闘場所保存 及びモニュメント建立運動も インド系が中心になっているのだろう。





インド系年配者に教えてもらった方角を探したのだが、結局 Green Rigde の場所はわからなかった。


でも それらしい山の方角の写真は撮って来た。(冒頭の写真 )


そのインド系ご年配の人に聞いた後でも、途中でうろうろと車を何度か停車して、合計で4種類の人に聞いた。 ( インド系ご年配を含めると 5種類の人に聞いた わけだ。)


1) 家内工業の工場で仕事中の華人夫婦 (中年)

2) 博物館受付 のインド系 の人 (中年)

3) 公務員用建物の入口のガードハウスにいた 制服姿のマレー系の二人 (中年)

4) 住宅街入口付近の道路を歩いていた華人 (青年 )



驚いたことに、あのインド系ご年配を除くと 誰一人 Green Ridge を知らなかった、「Green Rigde? バトルのあった場所だって? そんな場所なんて 聞いたことないよ」 と答えたのだ。 ( 中年華人のおばさんは ソーリー ヤァ〜 と付け加えた。 華人は オッケー ラァ〜 とか、XXXX ヤァ〜 の語尾を付ける特徴がある。)


the Battle of Green Ridge を取り上げた新聞記事には、 「 あのように勇猛に戦って犠牲になった兵隊達を讃えるモニュメントを作って欲しいのだ。 忘れ去られることが一番辛いのだ。」 と 保存推進者のコメントが出ていた。 インド系年配者からのコメントだと思う。






https://www.sikhnet.com/news/saluting-unsung-heroes-battle-kampar-monument



https://www.nst.com.my/news/2016/01/121427/battle-kampar




http://www.ipohecho.com.my/v4/article/2017/04/01/battle-of-kampar-site





以上 (9/22記)