( イポー物語 4) 地図に初登場の年代、 イポーの語源
http://db.ipohworld.org/photo/pdf/7331_kzb7z140617.pdf
イポーは 今では 華人系の街として有名だが、1870年代以前はジャングルの中で、現代の感覚での「道」と呼べるほどの まともな道はない場所だった。おそらくジャングルの中に けもの道 程度のものがあったというほどだった。
英国とペラ王国との間で締結されたパンコール条約(1874年)の後、余りに強引な徴税で恨みを買って 暗殺されたジェームズ-バーチ という人物がいる。
その彼が キンタ川を上流地域まで探索して作成した地図に “ Epau ” という地点が 「settlement:居留地/定住地」として 印されているのだが、それがイポーという場所が初めて地図に登場した時だ。
この地図が作成されたのは 1874年のことだ。
「settlement」すなわち 誰の定住地だったかということなのだが、それは オランアスリの部落か、マレー人の集落があった ということだ。
その2年後の1876年に書かれ 1878年に出版された「ペラとマレー」という本があるが、その中に 入っている地図に“ Epu ” という名前で印されたsettlement 地点がある。 これが 1874年の地図の次に登場した地図上の イポーだ。
この「ペラとマレー」を執筆したのはマクネイヤという人物だが、彼は 暗殺されたジェームズ-バーチの報復のための 討伐探検部隊に加わっている。
現在 Ipoh と呼ばれている「イポー」だが、このスペルだと 欧米人の中には、「アイ ポー」 と発音する人もいるかもしれない。
当初の地図に “ Epau ”と書かれていたのは、E = イー の発音を そのままアルファベットに当てはめたのだろう。
また u はマレー語の発音で ウ よりも オ に近いサウンドになることがある。
だから “ Epau “ は イー パウ/イーパォ の発音になり、” Epu “ は イー プォ 、すなわち イ− ポー という発音になる。
以下は 私の推測だ。
以上ことから、キンタ川上流の 集落/部落 にたどり着いたバーチやマクネイアが そこの土着民から イーパウ とか イープォという言葉聞いて、ここはその名前の土地だと思ったのだろう。
実際には イポー というのは 木 の種類の名前で、その樹液は麻痺させる効果があるので、オランアスリが吹き矢の矢に塗って 動物や鳥を狩猟したのだ。
オランアスリ達が この毒素を含む木を イーパウ とか、イープォ と呼んでいたのだろう。
だから バーチやマクネイアが たどり着いた集落は オランアスリの部落であって、マレー人の部落ではなかった というのが 私の推理だ。
以上