gary1212のブログ : マレーシア、イポーからの異文化体験のお便り日記 を更新中。 日記なのですが 毎日じゃなくて、数日に一回程度です。

滞在期間がマレーシア以外の時は、「番外編」のタイトルにしています。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。
マレーシアと日本の文化の違い発見、地方への旅行で見つけた発見、などなど。
ブログの目的は、自分自身用の日記ですが、公開日記にすることで 情報を調べたり、確認する必要があるので、脳機能の活性化になっています。

( イポー物語 4) 地図に初登場の年代、 イポーの語源

http://db.ipohworld.org/photo/pdf/7331_kzb7z140617.pdf




イポーは 今では 華人系の街として有名だが、1870年代以前はジャングルの中で、現代の感覚での「道」と呼べるほどの まともな道はない場所だった。おそらくジャングルの中に けもの道 程度のものがあったというほどだった。


英国とペラ王国との間で締結されたパンコール条約(1874年)の後、余りに強引な徴税で恨みを買って 暗殺されたジェームズ-バーチ という人物がいる。


その彼が キンタ川を上流地域まで探索して作成した地図に “ Epau ” という地点が 「settlement:居留地/定住地」として 印されているのだが、それがイポーという場所が初めて地図に登場した時だ。


この地図が作成されたのは 1874年のことだ。


「settlement」すなわち 誰の定住地だったかということなのだが、それは オランアスリの部落か、マレー人の集落があった ということだ。



その2年後の1876年に書かれ 1878年に出版された「ペラとマレー」という本があるが、その中に 入っている地図に“ Epu ” という名前で印されたsettlement 地点がある。 これが 1874年の地図の次に登場した地図上の イポーだ。


この「ペラとマレー」を執筆したのはマクネイヤという人物だが、彼は 暗殺されたジェームズ-バーチの報復のための 討伐探検部隊に加わっている。




現在 Ipoh と呼ばれている「イポー」だが、このスペルだと 欧米人の中には、「アイ ポー」 と発音する人もいるかもしれない。


当初の地図に “ Epau ”と書かれていたのは、E = イー の発音を そのままアルファベットに当てはめたのだろう。


また u はマレー語の発音で ウ よりも オ に近いサウンドになることがある。


だから “ Epau “ は イー パウ/イーパォ の発音になり、” Epu “ は イー プォ 、すなわち イ− ポー という発音になる。



以下は 私の推測だ。



以上ことから、キンタ川上流の 集落/部落 にたどり着いたバーチやマクネイアが そこの土着民から イーパウ とか イープォという言葉聞いて、ここはその名前の土地だと思ったのだろう。



実際には イポー というのは 木 の種類の名前で、その樹液は麻痺させる効果があるので、オランアスリが吹き矢の矢に塗って 動物や鳥を狩猟したのだ。


オランアスリ達が この毒素を含む木を イーパウ とか、イープォ と呼んでいたのだろう。



だから バーチやマクネイアが たどり着いた集落は オランアスリの部落であって、マレー人の部落ではなかった というのが 私の推理だ。







以上