遣唐使の中国語能力 ( 古代日本人にとっても外国語は 大変だった)
以前から不思議に思っていたことがある。
昔の日本人は 中国に渡った後 どうやって意思疎通していたんだろう という点だ。
昔と言っても 100年前のことでなく、遣唐使とか の時代のことだ。
全て 漢文を書いてやり取りした(筆談)とか 通訳を介在させた上での意思疎通で 済ませたとは思えない。
なんらかの会話能力も必要だったに違いない。
おそらく その時代においても 広い中国のことなので 広東語とか福建語とか客家語など とかに分かれていた筈だ。
どの地方の言語を使って 会話したのだろう。
現代の日本語でも 漢字の読み方に 呉音読み とか 漢音読みがあるが それは一体 どの時代に どういう経路で日本に渡来したのか という点も興味がある。
イポーで暮らしていると 中国語の看板で 日本語での意味が推測できるものを見かけることがしばしばある。
雑貨屋 なんて看板を見かけたこともある。
これって 呉 の国の用語だったのかなぁ、なんて 気になる。
図書館で 「古代日本人と外国語」という本を見つけた。
早速 読み始めた。
なかなか読みづらい図書だが、我慢して読み進めた。
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空海は 中国語をマスターしていたが、最澄は通訳を伴っての渡中だった。
渤海は しょっちゅう日本に使節を送ってきたが あまりの頻度に 日本は根を上げた。渤海使節とのコミュニケーションは中国語だった。
空海は別として 中国に渡った遣唐使は 中国語に苦労した人が多そうだ。
中国語が不自由なので 早く日本に帰国したい という申請を日本の朝廷に出して認められた僧侶もいる。
当時は 「 中国語が不自由だ、」ということを書いて申請することは 恥ではなかった。
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ようやく1/3 ほど読み進んだ。
もう少し我慢して 読んでみよう。
以上 (10/27 記)