gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

世界史の勉強 0 ( 上野の国立博物館;東洋館; 大谷探検隊、 アメンホテプ3世 パルティア )



上野の国立博物館に行った。


東寺、空海の仏像曼荼羅展だ。


空海と言えば 中国に留学して密教の極意を会得して日本に持ち買ったことで有名だ。


以前 西安の青龍寺に行った時、実はここは空海の修行したお寺そのものではない という説明だった。


1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であった らしい として その地に 空海ゆかりの寺として建立されたのだ。k


青龍寺では 見学路を無料で日本語説明してくれるサービスがある と言うので お願いしたが 最後の売り場で 品物を 「何か買え、買え」 とうるさくて仕方なかった。


欲しい物は何もなかったので、「いらない、いらない」 と断り続けたら 日本語案内してくれたオバさんの機嫌が凄く悪くなった ことを覚えている。



そんな事を 懐かしく思い出しながら 曼荼羅展を見終わって、展示会場を出たのだが 帰路ふと見ると本館に 隣接して 東洋館があることに気づいた。


上野の国立博物館には これまで 数回 来たことがあるのだが、いつも展示会が行われる平成館のみを訪れて 後は本館の正面を見て その雄姿に感激して 帰るのが通例だ。



初めて東洋館に入ってみた。


なんと西域探検で有名な大谷探検隊が持ち買った品々が展示されていた。



そればかりか、エジプト王朝時代のミイラもあった。


驚いたのは それだけではない。


アメンホテプ3世の時代の石立像や アルケサス朝(パルティア)時代の展示物や ヒエログリフや楔文字まで展示されているではないか。


アメンホテプ3世と言えば ツタンカーメンのおじいさんだ。


ツタンカーメンのお父さんのアメンホテプ4世(イクナートン)のことは 数年前 NHKで 特集番組をやっていた。



アメン神を中心に多神教を崇める神官の影響力を排除するため アトン神という一神教を作り出した上に遷都までした王様だ。


ツタンカーメンのことは つい最近も NHKで特集番組があった。





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(参考)


アメンホテプ3世



前14世紀、エジプト新王国の王。一神教アトン神の信仰を強制し、イクナートンと改名、宗教改革を実施した。

 エジプト新王国第18王朝の王(在位前1364年~前1347年ころ)。エジプト新王国が強大となり、西アジアをも支配するようになると、王権のあり方も変化してきた。新王国は、はじめテーベの守護神アメン神(アモン)と太陽神ラーが合体し、アメン=ラー信仰を中心とする多神教が行われていたが、第18王朝のアメンホテプ(アメンヘテプとも表記。「アメン神は満足し給う」の意味)4世は自らの神格化と一神教への移行をはかり、アメン=ラー信仰を否定して、唯一の絶対神としてアトン神(アテン)信仰を創出した。自らも王名をイクナートン(アクエンアテン、またはアケナアテンとも表記。アトン神にとって有用な者、の意味)と改名し、都をテル=エル=アマルナ(「アケト・アテン」と命名された)に移した。この一種の宗教改革を主とした改革を、アマルナ革命という。

 1887年、テル=エル=アマルナの廃墟から偶然、多数の楔形文字の刻まれた粘土板が発見され、アマルナ文書として知られている。これは新王国とヒッタイトやミタンニなどの前14世紀のオリエント諸国の王との外交文書であり、それによればこの時代は比較的平穏が外交関係が維持されていた。


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世界史の勉強をしてから 博物館に行くと 面白さが 格段に増す。




以上 (5/16 記)