gary1212のブログ : マレーシア、イポーでの生活。

滞在期間がマレーシア以外の時も 含んでいます。

マレーシア-イポー長期滞在生活での日常での出来事を書いてます。

ブログの目的は、もっぱら自分自身用の日記です。

不特定多数の方に情報を早く正確に伝達したい というつもりでは全く書いていません。

このためローカルの友人からもらった情報で、それが不確実な情報でも 私が関心を持ったものは 書いています。

繰り返しますが 読者のみなさんへの確実/正確/迅速な情報提供をしたい と思って書いているのではありません。

それじゃ困る と思う方は どうぞ 読まないでください。

よしなに。

世界史の勉強 2 ( ボスニア 、 バルカン旅行 、 モスタル )




A Year In HELL - True SHTF Story - Wartime in Bosnia


これは、、、、、、 。






1992年から1995年までのボスニア戦争が終了して 現在では ボスニアヘルツェゴビナという国は安定しているのだろう。


だから 旅行日程にも組み込まれている。





だが、安定と言ってもいささか意味合いが違うようだ。



こんな事が書いてあった。



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およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。


1995年10月、アメリカ合衆国のクリントン大統領が内戦の当事国間による平和協定妥結を発表した。


そして11月に、アメリカ・デイトンのライト・パターソン空軍基地に内戦の当事国であるボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ユーゴスラビアの各大統領が集まり、43ヶ月間にわたった内戦終結のための平和協定に仮調印した。


12月、NATOは6万人のボスニア和平実施部隊(IFOR)派遣を承認し、12月14日にはパリで和平が公式に合意(デイトン合意)・調印されて戦闘は終息した。


クロアチア人・ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、セルビア人がスルプスカ共和国というそれぞれ独立性を持つ国家体制を形成し、この二つが国内で並立する国家連合として外形上は一国と成すこととなった。


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実態は 2つに分かれている、と言うのだ。


それなのに 外見上だけ 一国の形を保っている。


一体 どういう事なのだろう。



大丈夫だろうか、観光予定に入っているボスニアヘルツェゴビナの都市(モスタル)は。


クロアチアの国境から近い都市なので スルプスカ共和国じゃなく ボスニアヘルツェゴビナ連邦のほうなのだろう。



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(参考)


モスタル



モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナにとっては重要な観光地となっており、鉄道や長距離バス、チャーター便などによって多くの国内、海外の観光客を受け入れている。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB?wprov=sfti1


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以上 (5/15記)