モラル の 話 : イスラムの神よ、6つ目のピラーを与え給え!
世界的には一神教が普及している状況だが、日本は違う。
多神教を "何となく" 維持しているという感じだ。
日本の場合は、あくまで "何となく" であり、多神教が普及しているというよりは、一神教が広がっていないと言うほうが良いだろう。
この " 何となく " という響きは 大変に心地よい。
世界平和のためには、こうじゃなくっちゃ いけない。
アバウトの世界が良いのだ。
仏教がそうであるように、さまざまな宗派や寺院が混在し、一般的日本人は 色々な神々の世界や多数の宗教があることを当たり前だと 抵抗なく受け入れるのだ。
仏教の宗派だって、日本には、なんだか 沢山あるし、イスラム教の2大宗派 シーア派 vs スンニ派 のような対立は 仏教にはない。
一神教が入り込んで来ても、日本の大衆はそれに引きずり込まれることはなかった。
この点、お隣の韓国とは 明らかに 国民性が違うように思うのだ。
キリスト教を例にとると分かりやすい。
キリスト教は、日本では江戸時代の初期に公認されていたが、その後、キリシタン弾圧になり、そして 維新後に公認された。しかしそれでも、現在 キリスト信者の数は1パーセント以下だそうだ。
他方、韓国は、戦後になるが、キリスト教信者は全体の30パーセントぐらいまで増えているそうだ。
日本人と韓国人 は 顔つきからは 区別できない。 そういう点では 同じ人種なのだが、 国民性の違い は やはり 別の民族なのだ、ということを意識してしまう。
歴代の韓国大統領経験者に 繰り返し起こる悲劇的な出来事は、なかなか 我々 日本人には理解しがたいのだ。
さて 私の住むマレーシアの宗教だが、マレー系は ほとんどがムスリムだ。
一神教の世界なのだ。
欧米人からすれば、「宗教があるから、モラルがある」ということになるのだが、その宗教は、非常に一神教的な宗教なのだ。
キリスト教もそうだし、イスラム教もそうだ。そこには敬虔(けいけん)な人たちが沢山いる。
私の住宅地域でも、近くのモスクからは 早朝から コーランのお祈りの大音響がスピーカーで流されるし、夕方の時間帯にはお祈りに来る人の車で付近の道路がいっぱいになる。
そこで 疑問が生じる。
「 宗教的感覚が薄いのになぜ日本人のモラルは高いのか? 」 という疑問だ。
それは、その反対に 「宗教的感覚は濃いのになぜマレー人のモラルは低いのか?」という疑問でもある。
マレーシアの場合 (イポーの場合)道路沿いには ゴミが散乱しているし、住宅地域の中でも 食い散らした後のゴミをそのまま放置してあるのを見かける。
モラルがない マレー人が多い と感じてしまうのだ。
先日も 住宅地域内の建物脇の駐車場に車を止めて 1時間ほどして 戻って来たら、フロントグラスに みかん の食べかすが グチャ とくっついている。
見たら ボンネットにも !
どうやら 建物の上の階から みかんの食べかすを 投げたようだ。
イスラム教の教えには、5つ のピラー(柱) があるという。
アッラーの神にお願いしたい、 もう一つ ピラーを 追加してください、プリーズ。
なんじ ゴミを捨てるなかれ というピラーを。
以上